太宰治は「人間失格」を、こみあげる笑いを噛みしめながら、書き進めたような気がします。次々に繰り出される悪趣味な展開は、これでもかこれでもかとトランプ札を出して、観客を幻惑していく手品師の技です。
しかしまた、笑う太宰を想像すると、その目がとても悲しそうに思えます。「人間失格」に隠されたものは、太宰流のキリストの姿だったのではないでしょうか。誰よりも弱く、誰よりも哀れで、誰よりも愚かな人間。手品師の技を駆使して、そのような人間を作り出し、テンポのある文体に乗せて、話の筋を整然と構成していく。太宰は十分、自分が手品師であることを心得ています。
「人間失格」は、人間の心の穴に飛び込んで、見たくないものを掘り起こしていくような悪戯です。もう笑うしかない悲しさは、手品師の悲哀を突き抜けていき、十字架上の死のような、劇的な終末を拒否します。お話しが済めば、それで終り。手品の幕は下ろされます。後には「ただ、一さいは過ぎて行きます」。