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2006年7月のことば

 トーマス・マンの「マリオと魔術師」は、不気味なものに触れたい人におすすめです。魔術師チポラが保養地で興行し、事件が起きた、というだけです。しかし マンの筆にかかると、そこから人間の悪魔的なるものが浮き彫りにされていきます。

 文中の語り手が、チポラの魔術を冷静に分析し、チポラの闇に光を当てようとします。ところが、この分析によって、むしろチポラの闇は深まっていきます。 マンは、チポラの魔術を種明かしして、闇からその姿を造形するとともに、それによって、その姿の内なる闇を造形するのです。

 手品師マンは、魔術師チポラを自在に操り、その破滅をも準備します。「人間の内心の秘奥の蹂躙(じゅうりん)」。純朴なマリオの心に土足で踏み込んだチ ポラは、罰を受けます。でもそれなら、偉大なる作家マンもまた、罰を受けねばならないでしょう。マンの筆は、「人間の内心の秘奥の蹂躙」を行ないます。こ の業の深さを皮肉に自嘲するからこそ、マンは、魔術師チポラを醜悪に造形したのかもしれません。罰を受けるべき人間として。

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