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2007年3月のことば

一月に京都南座で、前進座七十五周年記念の特別公演を観て来ました。幸田露伴原作の五重塔です。丁寧に仕上 げられた形式美が心地よく、家内は、クラシック音楽みたいな芳醇さがある、と喜んでいました。役者さんたちの基本的な技術のたしかさが、台詞回しにも場面の流れにも感じられ、行き届いた経験の蓄積が感じられます。


 とはいえ、五重塔の筋書き自体には、なかなか理解しにくいものがありました。合理的に考えて、なぜ源太は我 慢するのか。なぜ奥さんたちは我慢するのか。そもそも十兵衛は悪すぎる、などと帰り道に語り合ってしまいました。そこで原作を読んでみますと、お芝居の印象とは違う所も見つけました。原作では、話の勢いがとても激しく、十兵衛の煩悩の強さ、言わば悪さも前面に出て、人間たちの右往左往振りが露呈します。この混乱を、露伴の筆は、大嵐とともに仏教の教えの中に放り込み、力業で「成仏」させるのです。仏教説話、という印象を強く持ちました。


 前進座の「五重塔」は、原作の形を継承して趣意を変じさせ、それによって原作からの独立を果たしたのだと思 います。長く公演され続けた理由を得心した気持ちになりました。

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