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2007年9月のことば 

この夏は、昔の京都の哲学者たちの本を読んで過ぎました。東洋とか仏教という言葉が活きているのが、何だか別世界からの声のように響いてきて、落ち着きの悪 さを感じてしまいました。もちろん、今も東洋的なものはありますし、京都に暮らしているだけに、至る所に仏教的なものもあります。しかしそれでも、それらはどこか遠くの風景に思われて、自分の身の中の落ち着きどころを持てなくしています。


 朝鮮半島も中国大陸も西洋化が進み、日本はますます西洋化が進み、東洋や仏教は本の中の昔語りになっていくのでしょうか。そうならない方が世界にとっておもしろいと思いますが、そうならないと言い切る自信も持てません。かと言って、昔のものを無理に復活させることもできないでしょう。となれば結局、前に進んで新しいものを、できる限り昔のものを活用しながら、作り出していくしかないように思います。でももしかしたら、こういうのが、東洋的なあきらめなのかもしれません。

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