京都もずいぶん暖かくなり、陽気につられて伏見稲荷大社へ行ってきました。お正月よりものんびりしていますが、それでも人出が多く、ふと気がつけば英語や中国語の解説文も多くありました。たしかに、海外からの観光客にも魅力的な、日本独特の聖地かもしれません。ここでは、ひたすらに鳥居が続き、色鮮やかで、しかも馴染みやすさがあります。日常の隣の聖地、という雰囲気です。 さて、いつもは奉拝だけの稲荷山に、ずいぶん久しぶりに登拝しました。山を登るとともに、さらに延々と続く鳥居、次々と現れるお社、びっしりと林立する大神の石碑に出会います。もしかしたら、ここは本当に珍しい聖地なのかもしれないと実感させられる風景です。そしてそこでもまた、森厳さや清浄さよりも、日常のすぐ隣、という雰囲気が濃厚です。親しみやすく、気軽に馴染みやすいのです。 ところで、この稲荷山の石碑たちは、もちろん、寄進者の篤信の現れなのですが、全体を眺めれば眺めるほど、何か地の底から湧き出てきたもののようにも感じさせられました。この感覚は、秋に登拝した三輪山よりも、大峰山山上ヶ岳や新潟県国上山に似た感じがします。そこで調べてみましたら、江戸期にはここに真言宗の東寺系のお寺があり、いずれにせよ密教や修験道との深い関係があることがわかりました。雰囲気というものは、残るものなのでしょう。ちなみに稲荷神社の御旅所は、今も東寺のすぐ近くにあります。私の実家のすぐ近くで、「おたび」の子ども神輿に参加したことは、とても懐かしい思い出です。