2015年6月のことば
- uemurabunko
- 4月1日
- 読了時間: 1分
5月に飛鳥に行ってきました。高校の時以来ですから30年以上ぶりです。久しぶりに行って驚いたのは、名所がきれいに整備されていることでした。古代史の貴重な舞台として、今時は当然のことなのかもしれませんが、本当にどこも美しく、丁寧に歴史の解説が行なわれていました。30年以上前は、まだ観光地と呼ぶほどではなかったように記憶しています。普通の農村のあちこちに、古墳があったりお寺があったりして、今から思えば日常的な風景でした。
ところが、今回行ってみて驚いたのは、古墳やお寺が非日常的な風景となり、特別の場所である実感が非常に強まっていたことです。そしてそのどちらの風景も、過去の記憶に馴染むものである気がします。古代においては、古墳やお寺は特別の場所でした。その後、都が移り、地元の風景に溶け込んで、すっかり日常世界の中に埋め込まれていきます。このような歴史の両面を見れたことは、大変ありがたいことです。
このような変化の中にあって、しかしもちろん変わらないものもあります。山や丘、田や畑、古い家々、そして神社。地元の方々の見えない努力によって、景観というものが生き生きと続いていく姿を、飛鳥では見れます。