top of page

2015年7月のことば

  • 執筆者の写真: uemurabunko
    uemurabunko
  • 4月1日
  • 読了時間: 1分

6月の京都は梅雨らしい雨模様でした。祇園祭はもうすぐです。京都の町は観光の人がとても多く、にぎやかな状態が続いています。


 さて、有名な祇園祭ですが、これは公私の視点からどのように整理できるかを考えてみたいと思います。祇園祭は行政のイベントではありません。これはあくまでも、京都市内の一部地域の住民の一部の方々のお祭りです。そのお祭りが、京都市中心部で公開されているため、地域外の人たちも見に行ける、ということになります。文字通りに市民が支えているわけです。そういう意味では、官が担わない公共性として、「新しい公共」という考え方の典型例だろうと思います。


 もちろん、祇園祭はかなり古くからのお祭りです。京都の町では、武士と区別される都市市民が力を持ち、京都の公共性を担ってきました。京都においては、「新しい公共」は新しくないのです。そして祇園祭の担い手は、そのような伝統を継承する方々だと思います。上からの一方的命令には反発し、コンセンサスを重視して守りを固めつつ、みんなで進んでいく。このような京都の気風には、良い面悪い面あるでしょう。ただ、このような考え方が、祇園祭を長く続かせてきたような気がします。

​COPYRICHT(C)合同会社植村文庫 ALL RIGHTS RESERVED
bottom of page