2019年7月のことば
- uemurabunko
- 5月1日
- 読了時間: 2分
「新聞」というのは、どうなっていくんでしょうか。新しいニュースを読もうとしても
、すでにインターネットなどで知っている話がほとんどです。新しく聞くことではないの
です。速報性に関しては、新聞はもはや遅れをとっていると言わざるをえません。
それでは専門性ではどうでしょう。良い特集はたしかにあるのですが、スペースの都合
上、短く終わってしまう気がします。世の中はますます複雑になっていて、そう簡単に評
価や分析もできません。もちろん、スペースの制約は昔からのものですし、問題への入り
口という役割は果たしうるように思います。でも昔と比べると、新聞の必要性はずいぶん
と下がったという実感が否めません。
電車に乗って周囲を見わたすと、最近はほとんどの人がスマートホンの画面を読んでい
ます。文庫本や新聞を読んでいるのは、少数派となりました。そしておそらく、スマート
ホンを見る人たちは、あちこちの画面を渡り歩いているのでしょう。しかし実は、この渡
り歩きこそが、本に対する新聞の比較優位だったはずなのです。
新聞一つ持っておけば、本にすれば何冊分もの情報が手に入る。ただし、入り口だけで
はあるが・・・。この役柄をインターネットに取られてしまったこと。新聞が今後メジャ
ーな役割を担っていけるかどうかは、役柄を取り返せるか、それとも新しい役柄を作って
いけるか、にかかっていると思います。