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合同会社植村文庫 UEMURABUNKO


2007年6月のことば
西田さんの本を、今も読んでいます。西田さんは昔の京大の哲学の先生で、昭和の戦前期には、「京都学派」と呼 ばれるお弟子さんたちを育てられました。高坂正顕、高山岩男、鈴木成高、三木清、田辺元など、とても水準の高いお弟子さんたちです。ただし、「京都学派」...


2007年5月のことば
現在、西田幾多郎という昔の哲学者が書いた本を読んでいます。とても人間味のある、面白い哲学者なのですが、 難しくて読みにくいと文章の評判は良くありません。たしかに、専門家でさえも音を上げるような、漢字と飛躍だらけの文章になっています。でも、西田さんの気持ちになって読むと、すら...


2007年4月のことば
三月に台湾に行ってきました。台北の中心街にタイペイ・アイという劇場があり、子ども連れも気軽に、京劇などを楽しむことができます。ちょうど旧正月でしたので、獅子舞を見せてもらえたり、お祝いのお餅やおもちゃなども配られたりと、心配りの行き届いた公演でした。 京劇の演目は、八仙過海...


2007年3月のことば
一月に京都南座で、前進座七十五周年記念の特別公演を観て来ました。幸田露伴原作の五重塔です。丁寧に仕上 げられた形式美が心地よく、家内は、クラシック音楽みたいな芳醇さがある、と喜んでいました。役者さんたちの基本的な技術のたしかさが、台詞回しにも場面の流れにも感じられ、行き届い...


2007年2月のことば
最近、カオスとコスモスについて考えています。人間には、カオス型の人間とコスモス型の人間がいるのではないか、ということについてです。 さて、カオスは混沌とも訳され、意味や秩序の不明な状態を指しています。不明であるのは否定的な印象を与えますが、むしろ、意味や秩序が生み出される...


2007年1月のことば
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 さて、お正月には年が改まり、すべての生命が復活して、明るい雰囲気が行き渡ります。せっかく明るい雰囲気なのですから、私には、もっとのんびりした方が、楽しいように思えてなりません。普通のお店がすべて休み...


2006年12月のことば
「のだめカンタービレ」という漫画が流行しています。テンポが良く笑いが絶えません。そして、とても斬新なものも感じます。それは何かを考えてみま した。 最近、教育社会学者の佐藤八寿子先生の『ミッション・スクール』(中公新書)を読みました。「ミッション・スクール」のイメージの変...


2006年11月のことば
和辻哲郎の名著『風土』に、中国を論じる一節があります。和辻は、揚子江を旅して、その「単調にして空漠な」風景に驚き、そのような風土に生きる人間の「意志の持続」などの特徴を指摘しました。昭和四年のことです。 これを読んだとき、私は、ロシアのお話を思い出しました。果てのない平原...


2006年10月のことば
京都文化博物館の「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿」展に行ってきました。狭いスペース(博物館さん、すみません)の中に充実した展示があり、予想よりもはるかに豊かなひとときを過ごすことができました。 ハプスブルク帝国の雰囲気は、マリア・テレジアの豪華さと知性とに、かなり支...


2006年9月のことば
昨年の今頃は、スロヴェニアという国にいました。人口は200万人で、首都のリュブリアナは30万人弱。ユーゴスラヴィアから独立して十数年です が、すで にEU加盟も実現させたヨーロッパの小国です。トリグラフ山という美しい山の裾野に、豊かな田園風景が広がり、心落ち着く雰囲気を醸し...


2006年8月のことば
長かった梅雨もようやく終り、一転して、夏らしい空がやって来ました。海や山の季節到来です。ところで、山歩きをしてきて思いますのは、日本の山は 本当 に、宗教遺蹟が多い、ということです。山は巡礼の場所であり、修行の場所であり、祖霊の鎮まり神々の降臨する聖地でした。そしてその山は...


2006年7月のことば
トーマス・マンの「マリオと魔術師」は、不気味なものに触れたい人におすすめです。魔術師チポラが保養地で興行し、事件が起きた、というだけです。しかし マンの筆にかかると、そこから人間の悪魔的なるものが浮き彫りにされていきます。...


2006年6月のことば
太宰治は「人間失格」を、こみあげる笑いを噛みしめながら、書き進めたような気がします。次々に繰り出される悪趣味な展開は、これでもかこれでもかとトランプ札を出して、観客を幻惑していく手品師の技です。 しかしまた、笑う太宰を想像すると、その目がとても悲しそうに思えます。「人間失...


2006年5月のことば
先月に続き、梶井基次郎です。基次郎には「器楽的幻覚」という小文があります。これは昭和の初めに発表されたもので、フランスから来た洋琴家 (ピアニスト)の演奏会に出たときの感想を綴ったものです。そこで基次郎は、演奏者に魅了され、操られていく聴衆を見出してしまって、怖気を感じます。「なんという不思議だろうこの石化は?今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」。 しかしそれなら、基次郎は自己に戦慄せねばならぬはずです。なぜなら作家もまた、その筆によって読者を手繰り寄せ、その心の中を操る存在だからです。その戦慄に皮肉を感じず、神経を痛めるのは、基次郎に良心が残っているからでしょう。そしてその良心を、笑えるようになった境地には、作家の世界が広がっていくのかもしれません。そのような境地を哄笑する作品として、私は、太宰治の「人間失格」を思い出します。あるいは、皮肉に自嘲するトーマス・マンの「マリオと魔術師」をです。


2006年4月のことば
梶井基次郎という作家に、「桜の樹の下には」という短文があります。「桜の樹の下には死体が埋まっている!」という始まりの、背筋のぞっとするグロテスク な文章です。でもしかし、そのグロテスクさが、桜の花の、ぞっとするほどの美しさを見事に描き出します。あふれかえる白い花々の、この世のものと思われな いほどの美しさ。恐ろしいほどの美しさ。それを細密に描き出す基次郎の筆は、空想の世界へと入り込みます。 「桜の樹の下には死体が埋まっている!」。ありえないほどの美しさは、ありえないものが支えている。この美の恐ろしさを描き切る基次郎は、豪華絢爛たる詩人です。檸檬を見て基次郎の名を思い出される方も多いでしょう。私は、桜の花を見ると思い出すのです。


2006年3月のことば
ソウルで「NANTA」の公演を観てきました。韓国版劇団四季という印象で、とってもアメリカ的なミュージカル。でもとっても韓国的な無言劇。行き届いた 素晴らしい舞台です。ミュージカルなのに歌がない。演劇なのに言葉がない。しかもそれなのに、素晴らしい。強い憧れを感じます。ナンタ専用劇場のような専 用ホールを、四人会コンサートグループも目指したいです。季節はずれの初夢でした。


2006年1月のことば
今年もよろしくお願いします。最近、時間はいつも伸び縮みしているのではないか、と考えてます。物理的には短い時間でも、たくさんのものが生まれる瞬間も あります。それは本当は、時間がぐーんと伸びているおかげではないだろうか。だから、たくさんのものが生まれるんではないだろうか、とか...
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