top of page
合同会社植村文庫 UEMURABUNKO

ブログ


2006年10月のことば
京都文化博物館の「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿」展に行ってきました。狭いスペース(博物館さん、すみません)の中に充実した展示があり、予想よりもはるかに豊かなひとときを過ごすことができました。 ハプスブルク帝国の雰囲気は、マリア・テレジアの豪華さと知性とに、かなり支...


2006年9月のことば
昨年の今頃は、スロヴェニアという国にいました。人口は200万人で、首都のリュブリアナは30万人弱。ユーゴスラヴィアから独立して十数年です が、すで にEU加盟も実現させたヨーロッパの小国です。トリグラフ山という美しい山の裾野に、豊かな田園風景が広がり、心落ち着く雰囲気を醸し...


2006年8月のことば
長かった梅雨もようやく終り、一転して、夏らしい空がやって来ました。海や山の季節到来です。ところで、山歩きをしてきて思いますのは、日本の山は 本当 に、宗教遺蹟が多い、ということです。山は巡礼の場所であり、修行の場所であり、祖霊の鎮まり神々の降臨する聖地でした。そしてその山は...


2006年7月のことば
トーマス・マンの「マリオと魔術師」は、不気味なものに触れたい人におすすめです。魔術師チポラが保養地で興行し、事件が起きた、というだけです。しかし マンの筆にかかると、そこから人間の悪魔的なるものが浮き彫りにされていきます。...


2006年6月のことば
太宰治は「人間失格」を、こみあげる笑いを噛みしめながら、書き進めたような気がします。次々に繰り出される悪趣味な展開は、これでもかこれでもかとトランプ札を出して、観客を幻惑していく手品師の技です。 しかしまた、笑う太宰を想像すると、その目がとても悲しそうに思えます。「人間失...


2006年5月のことば
先月に続き、梶井基次郎です。基次郎には「器楽的幻覚」という小文があります。これは昭和の初めに発表されたもので、フランスから来た洋琴家 (ピアニスト)の演奏会に出たときの感想を綴ったものです。そこで基次郎は、演奏者に魅了され、操られていく聴衆を見出してしまって、怖気を感じます。「なんという不思議だろうこの石化は?今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」。 しかしそれなら、基次郎は自己に戦慄せねばならぬはずです。なぜなら作家もまた、その筆によって読者を手繰り寄せ、その心の中を操る存在だからです。その戦慄に皮肉を感じず、神経を痛めるのは、基次郎に良心が残っているからでしょう。そしてその良心を、笑えるようになった境地には、作家の世界が広がっていくのかもしれません。そのような境地を哄笑する作品として、私は、太宰治の「人間失格」を思い出します。あるいは、皮肉に自嘲するトーマス・マンの「マリオと魔術師」をです。


2006年4月のことば
梶井基次郎という作家に、「桜の樹の下には」という短文があります。「桜の樹の下には死体が埋まっている!」という始まりの、背筋のぞっとするグロテスク な文章です。でもしかし、そのグロテスクさが、桜の花の、ぞっとするほどの美しさを見事に描き出します。あふれかえる白い花々の、この世のものと思われな いほどの美しさ。恐ろしいほどの美しさ。それを細密に描き出す基次郎の筆は、空想の世界へと入り込みます。 「桜の樹の下には死体が埋まっている!」。ありえないほどの美しさは、ありえないものが支えている。この美の恐ろしさを描き切る基次郎は、豪華絢爛たる詩人です。檸檬を見て基次郎の名を思い出される方も多いでしょう。私は、桜の花を見ると思い出すのです。


2006年3月のことば
ソウルで「NANTA」の公演を観てきました。韓国版劇団四季という印象で、とってもアメリカ的なミュージカル。でもとっても韓国的な無言劇。行き届いた 素晴らしい舞台です。ミュージカルなのに歌がない。演劇なのに言葉がない。しかもそれなのに、素晴らしい。強い憧れを感じます。ナンタ専用劇場のような専 用ホールを、四人会コンサートグループも目指したいです。季節はずれの初夢でした。


2006年1月のことば
今年もよろしくお願いします。最近、時間はいつも伸び縮みしているのではないか、と考えてます。物理的には短い時間でも、たくさんのものが生まれる瞬間も あります。それは本当は、時間がぐーんと伸びているおかげではないだろうか。だから、たくさんのものが生まれるんではないだろうか、とか...
bottom of page